Organicstory

考えながら生きるより、感じて成長していきたい。

ホンモノを射止める





”名刺に



たくさんの肩書きがついているひとをみると、




よほど自分に自信がないのだな

とかんじます。”




”羽をひろげ着飾り、

それが自分だと思っているのです。”








たくさんの肩書きなんて





それはその人の努力とか 

チャレンジな精神が伺えて、

そんけいするし

魅力的に感じなくはないけれど。





でも、 それらに


「わかって」「みて。」

なんて アピールや、強調された 

エネルギーがのっかってると



一瞬、提供された側は

どこかでフッと 冷めてくかんじ。






武器をもてばもつほど

”つよくなるはず” な考えかたは


”ホンモノ”を射止めるにはむずかしい‥


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わたしたちが求めるものは

よろいの中の隠れた本質。



何ももたない、

そのまんまを提示したときに

「それがいい、!」といってくれる相手が

ひとりいたなら


そんな幸福なことはないよね‥。







ふたつの意識。





”自分と、自分の可能性を大切にしている人って


他人のことも尊重してあげられるし、

他人の可能性もしんじてあげられる。”





”そして、自分を大切にできている人って

他人に嫌なことを強要することも、ないと思う。”







なんて すてきで自由な関係性


ここち良い、統合された意識のなかで

すすんでいく 「拡大」と「繁栄」。




だから



他人との分離をつくりだすのは

内なる自分との分離感。





狭まった視野は 戦いや、競争意識に向いていく




どちらの道をえらぶかは

”どう在りたいか ”と問われてる。






宇宙の真理に よい、わるい、なんてないんだって。






それでもやっぱり 



ここちよい、わるいっていう感覚は

わたし自身が知っている。




眉間にシワできゅうくつな場所にいりよりも

心からのえがおで、尊重しあっていきたいもんね。






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かくごを決めて、すすんでいこう。










じごくの体験。





”あなたが 真の自分でなくなるとき


    自分で地獄のたいけんを創りだすのだ”









自分を



表現するために 与えられたこのばしょで



なのにソレは許されない ゆるしてもらえない




だれに?  自分に。


どうして?  こわいし、ふあん‥  面倒ダカラ




そうすると


魂にとって それは ”じごく”でしかなくて、




抑圧されたエネルギーは

精神的な苦しみや

肉体的な苦つう(病気や異変)

として現れる。







”真の自分でいること ”



こわいけど 面倒だけど

抑圧せずに表現してみる。





だれに、なんて言われようと


きたい服をきてみたり

無駄な創作をたのしんだり



はたまた


ちいさな「NO」をつたえてみたり



つめたいひとだと


思われることを受け入れてみたり



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”「神は罰として人びとをじごくにおくる」

というものがいる。”



”しかし、わたしがあえて死後に罰する必要が

どこにあるのか。”






問われる”真価”




”精神てき成長のためには

凶の方にうごいた方がよいのです。”






”どのように苦難をのりこえ、


建設的にくぐりぬけていくかで

その人の真価がとわれます。”




”運気としてはさいあくで

儲からないでしょうが、


人間として もっとも成長します。”







凶と知りながらその道をすすんでいく‥



その先に、


さいあくな運気 儲からない状況 

が待っている。








それでも自分をせめることなく

ただひたすら すすんでく






とてもつよく繋がった自分との信頼かんけいと



「わたしなら大丈夫、 」

という根拠のない


けれど 強固な 確かな自信。




その視線の先には なにがみえているんだろう。




いまの自分には

まだわからない感覚だけど




きっと、


その道を えらばずにはいられない

体験したその人にしか わからない


”クセになる何か” があるのかな‥



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まったくよめない、理解しがたい

”あのひと”の行動。



だけど なぜか


見る者の関心を得てやまないのは




まだ眠ったままの

わたしたちの深い意識と

どこかで繋がっていたりすのかな。







「反応のなか」





すべてをつくりだしているのは

わたし達の「意識」。








”あなたがたは


関心を向けることで 対象をじつざいさせる。”






”そのことをしり、何をじつざいさせるかを選びなさい”



”苦しみをかたらないこと(実在させないこと)を選びなさい”






じゃぁ 


どうして”苦しみ”なんてあるのかな ?








わたしたちは創造主


喜びを創造するためには

苦しみの体験なしには はじまらないし

イメージさえもむずかしい





在るべき場所へいくための その存在、

苦しみ(と感じる出来事)に



わたしたちはなやまされ


意識を 関心を 向けつづけている。




かたっては、 悩んでは、 のくりかえしは


じわじわと ”対象のじつざい”へと向かっていく‥








それじゃぁ 

いきたい方向にいくどころか、


いまいるばしょ(苦しいと感じること)の

現実創造からでられない、、







でも、じゃぁ


このカラクリをしったなら


方向てんかん、起動修正がはじまるね。




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”苦しみは

出来事とは何のかんけいもない”



”できごとに対する「反応のなか」にあるだけだ。”







だれかの解釈。





こういうときは、こうあらねば とか

こう ある べき、とか



だって、ぜんぜん わくわくしないし

わたしの心はなんの反応もしめさない。








”適正基準は、善悪とはなんの関係もない”


”なにをもって適正とするかについての

だれかの解釈なのだ。”






わたしたちは自身の表現のため

深い成長のために この世界にきてるのに



ダレカの解釈のなかで生きてるなんて

モノゴトを判断するなんて



なんだか ”のっとられている” かんじ。

くわえて とっても動きづらそう‥



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”「あるべき行動」とは

最善の行動ではない”



”それどころか

喜びをもたらすことはほとんどない”







選択と反応






”在り方をまちがえていると

たましいは感情でかたりかけてくる。”




”感情は反応だが、在り方は選択である”




さまざまな場面で

わたしたちは試される。



誰に?  ”わたし”に。



一瞬、一瞬をありのまま そのまま

”本音”で在りつづけること




それらは時に


とんでもないことだったり、

常識てき、いっぱんてきにはタブーとされることだったり‥




でもその

常識てき、いっぱんてき って

どこからきたの ?





それらにあわせて(選択して)生きてると

安心、安全は得られても


だんだんとたましいはご立腹。




何かを選択するときや、

何か行動にうつすとき

自分の感情を感じてみて。




「それ、いやだ」

「それ、ちがう」


「それが、すき」

「それが、ここち良い」


はたまた

「なんだか、違和感」

「なんか、ひっかかる」






”答えをじんそくに得るには


思考を置き去りにして

純粋な存在へと 移らなければならない”



”理性からはなれること”



”天才とは

「答えを創造する者」ではなく

「すでにある答えを発見する者」だ”




わたしたちはじつは

限りなくとんでもない


とびきりユニークな創造主



それらを表現するか ころすのか

選択をすれば たましいは感情でシグナルをだす。




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